明けましておめでとうございます
- Day:2018.01.02 08:54
- Cat:日記
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音にまつわる日常のこと
美人がいれば、不細工もあり
善人がいれば悪人がある
そのように2つに分けて評価するから、神の世界からどんどんこの世が、ヒトの世界に変わっていったというような話に思えてきました
<参考に、スピーカーでお話させて下さいませ>
スピーカーは振動板を前後に動かして音を出します
スピーカーの前に出ている音(音の波)と、後ろに出ている音は、位相が正反対です
その正反対の音が空間で出会ってしまうと、プラスマイナスゼロで、音が消えてしまいます
スピーカーのセミナーで抱っこスピーカーのスピーカーユニットをボディから、つけたり外したりしますが、スピーカーを外すと、特に低音が消えて音がスッカスカになるのです
それは困るので、反対の位相、反作用の音をスピーカーボックスの中に封じ込めるのです
この、封じ込められた音が、古事記で例えると、ブサイクな姉「イワナガヒメ」なのです
それによって、受け止める人は、「コノハナサクヤヒメ」の歌声だけを聴くことができます
かわいそうなイワナガヒメ・・・・
こうやって、悪いものは邪魔者だ、出て行けって、今の社会と同じ考え方、昔からそうだったんですね
コノハナサクヤヒメは美しいが短命、イワナガヒメは長命を司る神様だそうです
今まで邪魔だと箱に封じ込めて、蓋をしていたイワナガヒメが、抱っこスピーカーのボディーをブンブン動かして、ボディーを振動させ、その振動がとっても心地よいのです
世の中のスピーカーの仕組みには、バスレフと言って、反作用の音の位相を反転させて、前に出して活用するというのがありますが、
それは、理想的な効率でも(そんなのはできませんが)1プラス1で2にしかなりますが、
抱っこスピーカーはマイナスの部分の振動が、そのスピーカーを持つ人の感動を3にも4にも10にもプラスに変えているのです
マイナスと思う現象に、宝が埋まっているのです
20世紀になってから、どんどん、悪いものは無くしてしまえ!
という運動が活発になり
ナチスヒトラーは、障害者が生まれたら、その遺伝子が引き継がれないようにしたし、他にも様々なことをしてきました
伝統的な文化が残っているところでは、障害者が生まれると、神の子が生まれたといって、村中でとても大事にされています
ひどい目にあった!
というとき、こんなふうに思うだけで、とても楽しい気分に変換できたりします
見方を変えると世界が変わる
それこそ錬金術はこれだと思うようになりました
抱っこスピーカーはそれを形として世の中に出てきました
「私は本日、この研究所を開所するにあたり、これを単なる実験研究の場所としてでなく、寺院として神にささげるものであります」彼の敬虔な態度と、荘重な語調は、満場の聴衆に深い感銘を与えた。
「私は研究の途上、知らず知らずのうちに、物理学と生理学の境界に導かれていきました。ところが驚いたことに、研究が進むにつれて、生物界と無生物界を分離する境界線がしだいに消えて、そこに両者の接合点が現われてきたのです。つまり、無機物の中にもりっぱに生気が躍動しており、いろいろな力の影響を受けてさまざまに反応していることがわかってきました。
金属も植物も動物も、外部からの刺激に対して同じような反応を示しました。つまり、そこには一つの共通の法則が存在するように見受けられました。それらはみな、等しく疲労や衰弱の現象を起こします。おそらく、疲労の回復や生気の高揚についても、また、死によって永久に反応しなくなる点も、同様であろうと推測されました。この普遍的共通性の原理に畏敬の念に打たれた私は、大きな期待をもって、この実験の結果をローヤル・ソサイエティーで発表いたしました。ところが、そこに出席していた生理学者たちは、私に、彼らの領分を侵害するようなまねはやめて、すでに私が成功を約束されている物理学の領域内で研究するようにと勧告したのです。私はうかつにも、そのような繩張りがあったとは知らずに、入れるという無礼を犯していたというわけです。
他人の領分に足を踏みそこにはまた、信仰と無知とを無意識のうちに混同している神学的偏見もありました。神は、たえず進化する創造の神秘でわれわれを取り巻いておられますが、同時にわれわれに、それらに疑問をもち理解しようとする意欲をも植え付けられた、ということについてはとかく忘れられがちです。私は長い間、ひとに理解されない研究を続けてきましたが、その間、科学に献身するということがたえざる苦闘の連続であることをしみじみ味わいました。そこでは、損も得も、成功も不成功も度外視して、ただひたすらおのれの生涯を研究にささげる心構えが必要なのであります。
やがて世界の主要な学会は、私の理論と実験結果を受け入れ、インドが科学に対してなしたこの重要な貢献を認めるようになりました。しかし何事によらず、インドの心は、小さなものや限りあるものに満足することはできません。連綿たる伝統と、たえず更新する活力によって、この国は無数の変遷に自らを適応させてきました。そしていつの時代にも、はかないいっときの栄誉よりも人生の最高の理想を実現しようとする人物を生み出してきました。彼らはみな、積極的に困難に挑戦した努力家であり、決して逃避的な隠遁者ではありませんでした。困難を回避する卑怯者は、得るものもなければ、また捨てるものも持ちません。努力して困難を克服した者のみが、その勝利の収獲を世に分かち与えることができるのであります。
ボース研究所がこれまでに行なってきた、物質の反応や植物の生活に見られる珍しい現象に関する研究は、物理学、生理学、医学、農学のほか、心理学の分野にまでも、その領域を拡げてきました。これまで解決不可能とされていた多くの諸問題が、今では実験的に研究されるようになったのであります。
しかしながら、満足な成果を得るには、きわめて精密な実験が必要です。そこで私は、きょう皆様に、私の考案した超高感度の実験機器をごらんに入れるため、それらを正面入口のホールに陳列しておきました。これらは、現象の仮面の背後に隠れた真理を追求するための長い間の努力と、人間の限界を克服するために必要な不断の労苦と忍耐と独創性とを物語るものであります。創造的科学者はみな、真の実験室は人間の心の中にあることを知っています。そして、そこにおいてこそ、幻影の背後に隠れた真理の法則が発見されるのであります。
この研究所で行なわれる講義は、単なる過去の知識の受け売りではありません。それらはすべて、この研究所で初めて実験立証された新しい発見の報告であります。われわれは、この研究所の成果を定期的に発表して、このインドの貢献を全世界に知らせるつもりでおります。そして、それらを世界人類の共有財産にしたいと念願しています。したがって、それらについて特許権を取るつもりは全くありません。インド文化の精神は、われわれが知識を単なる個人的利益のために用いることを強く戒めてきました。
私はまた、この研究所の設備が、できるだけ諸外国からの研究者にも利用されることを望んでおります。この点においても、私はわが国の伝統を受け継ぎたいと思います。
インドはすでに二千五百年前、世界各地の学者を、ナーランダーやタキシラの学園に迎え入れているのであります。
科学は、東洋のものでもなければ西洋のものでもありません。それは、その普遍性において国際的なものでありますが、インドは特に、偉大な貢献をなすにふさわしい国であります。インド人は、豊かな想像力と、それを心の統御によって1つの目的に集中する伝統をもっています。この想像力こそ、一見雑然たる事実の中から法則を探り出す力であり、また、心の統御力は、無限の忍耐を要する真理の探究にはなくてはならないものだからであります」(引用終わり)