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水は神の性質みたい

今は八ヶ岳の付近です
窓からはうっすらと雲の上に八ヶ岳が見えました

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昨日は長野県の友人宅に寄りました
そしたらそばの池にはオタマジャクシが生まれていました
かなり大きなヒキガエルみたいです
春ですね~
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花桃もちょうど咲いたばかりで、桃源郷に来たみたい

今日はもう東京入りするので、対照的なんだよな



娘を育てながら感じていること
保護者の必要性
滑り台をするにも、ジャングルジムで遊ぶにも心配なので、いつも見守って居てくれと、そうすれば安心して遊ぶことができると

親などの保護者がいなくては、小さい子どもは安心して遊ぶことが出来ない
新しい挑戦をしてみようと思えない

大人になったとき、保護者は必要なくなる
自分の力で挑戦することができるからだ
でも、不安がある
お金や病気、事故
そのために、保険やお金の心配をする
自分を守って欲しいという心から大人は宗教を利用する
子どもは保護者がいるから宗教を必要としていない
しかし宗教も最近は信じられなくなってきた
神や仏よりも実はお金を信仰していたりする一部の宗教家や偶像崇拝に熱心な宗教家達の為だ
本当に神や仏を信仰しているならば、お金のことを心配していないし、信仰の対象を壊されたり、非難されようとも何ともないもの
だって、神や仏は、あまねくところに充満していて、自分自身の内にも外にも全ての動物たちにも、人にも植物にも鉱物にもあり、壊されることも焼かれることも、消されることも失われることもないものだと思うのです

例えば水のように、水は透明だけれども、泥が入れば泥色になり、青い光が入れば青になり、見る角度によって色々な色に見えたり、加熱すれば蒸発して空気中をただよい、冷やせば雲になりそれが雨になり、あるいは雪になり、結晶になり、あらゆるもに浸透して時をかければ岩をも溶かす
壊すことができず、人々や植物や動物や大地を生かし、それなしでは命の存在も無い
水は神の性質をよく現したものだと思います

だから神への進物として水があるのだと思うのです
太古の昔は一杯の水があればどこにいても神事ができたと思います
あとの時代になって、水の背後に色々な物が置かれるようになり、その物の方を信仰対象としてしまって偶像崇拝が生まれたのだと思います

で、保護者の話に戻りますが、このような神を保護者とすれば、魂の永遠性を水のようなものだとイメージでき、それを信じることもできるようになり、今見えている苦しい現実はただの見かけであり、抵抗することよりも受け入れることが自然だとも思えるようになってくると思います

老子が「上善水の如し(最も尊いのは水のごときもの)」と書き残したのはまさにそのことだと思うのです

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淡路島から見た夕日
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Comment

No title
私は、地球における水を、生命そのもの、と感じています。
 
私にとっては、“生命”と“神”は同義語なので、
たいしょーの見解に賛成ですv-218
  • 2009/04/20 19:36
  • amaria
  • URL
No title
あまりあさんに言われると心強いです
ありがとう(^^)
  • 2009/04/21 07:50
  • たいしょー
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