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般若心経の観自在菩薩について

昨日は観音菩薩の観音という言葉から感じる解釈で書いてみました

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静岡県三嶋大社所蔵の般若心経(1203年

このところ毎日般若心経を読んでいます

色即是空の内容も素晴らしいし、読経しているときの音も好きです

智慧とマントラの絶妙なコラボレーション!

観自在菩薩という名前について

一般的に普及している般若心経は玄奘三蔵がサンスクリットから漢訳したものですが、

それ以前に鳩摩羅什三蔵(くらまじゅうさんぞう)が訳したものがあります

その経では観自在菩薩ではなく、観世音菩薩でした

般若心経の色即是空の意味が分かるにつれて、

まさに般若心経には観自在菩薩という名前がふさわしいと思いました

観音菩薩が、る菩薩なら、

観自在菩薩なら、自在る菩薩でしょうと

色即是空、空即是色の

は存在はしているけれど、名前も役割も与えられていない、自分に害を与えるものでも益を与えるものでもない、感情をなんら動かさないもの。例えるなら人間が空気という存在に気がつく前の空気のような存在。

空はなんでも無いもの

は何らかの名前が付いたり、感情が働いたり、様々な役割を与えられているもの。

色とはそうであるもの

たとえば、ここに1パック100円のシールが貼ってある納豆があるとしたら、

納豆嫌いの春さんは、嫌そうな気分になりました「誰が納豆なんて買ってくるんだよー」

納豆好きの夏さんは、1パック100円もする高級納豆だということに気がついて早く食べたーい、どうやって食べようかと妄想が働いて手が勝手に納豆をかき混ぜる仕草になっています

納豆のことにあまり気を止めていない秋さんは、視界に一瞬納豆が入ってきましたが、なんでも無く通り過ぎてゆきました

赤ちゃんの冬ちゃんは、納豆なんて知らないし、おっぱいのほうが大事

赤ちゃんからみたら、納豆は空みたいなもんです

たまたま赤ちゃんの通り道に置かれていれば、邪魔者という色がつくかもしれませんし、その香りが鼻腔に入ってしまえば、臭い物という色がつくかもしれませんけどね

自分が、納豆について「こうだ!」と思っても人それぞれだし、人以外も加えるともっと様々な観方があります

自分が思っているそれは、他人から見たらそれじゃ無い、自分が正しいと思っていることも、そうではないと思っている人が結構いたりします

苦しみが多い人ほど、執着が強いので、自分がこうと思い込んだことを変えることができません

苦しみの元は思い込みにしがみついているからだよと般若心経は教えてくれています

あらゆるものは、五感とか、経験とかによって、目の前の存在に自動的に感情が働いてしまい
感情の為すままに、それはそうと思い込んでしまっているのですが、

そこから自由になれるんです

目の前のものは全部、空なんだと腹の底から思ったら

過去のトラウマで悪い感情が働いても、一瞬で戻せますし、

気持ちいいものなら、もっと拡大させて感じることができます

感情に振り回されないようにするには、

自在に観る観自在になることだと

般若心経の前半部分では教えてくれています

今、新型コロナウイルスで大変な世の中なのですが、精神的に大変なとき、この観方を変えるというのがとっても役立ちできると思っています

わたしがよく講話を聞きに行った小林正観さんも、

宇宙が味方の見方道という本を出されていました
Youtubeには最近小林正観さんの講話がアップロードされていたりもするのでおすすめですよ
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Comment

YouTubeからの続きです
僕の拙い解説動画に共感下さり有難うございました。

空(そら)の色が春夏秋冬で異なるように、春さん、夏さん、秋さん、そして冬ちゃんそれぞれでの空(クウ)の捉え方の解釈、仰る通りだと僕も共感します。

調子に乗って少し余談を書かせていただくと、天台教学の教理としては基本的でありながら、それを実践としては究極の境地として据え置く代表的なものに、『円融』という概念があります。

既に御存知かもしれませんが、それは先述の空(クウ)、仮(ケ)、中(チュウ)の三つの観点から正覚を志向するもので、それぞれに空観・仮観・中観と呼ばれます。
でも注意すべきなのは、空と仮と中が三つ独立してあるのではなく、仰るところの空観をベースに置きながらも、いろんな人の立ち位置や、「私はこう在りたい!」みたいな意志によって、この世界に生きる人々は誰しもが各々の仮観を持たざるを得ず、そこから何らかの自己実現を目指す上での空観と仮観が円かにバランスが取れた状態(それはもちろん善であるほうが好ましいと思うのですが)を中観とすることにあります。

ですから、中観の中に空観と仮願が内包されているようなイメージが一つの円融であり、そこから更に抽象度が上がると、その一つの円融もまた何らかの空観・仮観・中観のなかに含まれ、それぞれが更に止揚されるかの如くより深い円融がフラクタルに無限に広がっていくのが「自在に観る」という瞑想を深めた先にあるとするのが天台教学という仏教の一教理です。

しかし、あくまでもそれは頭でっかちなロジックに過ぎないので、その教理を地に足の着いた各々の人生の中でどのように体現するかが実践であり、また修行でもあるのだと僕なりに解釈しています。

温かなコメント頂き、つい長文になってしまい失礼致しました。
何かに活用していただけたら幸いです。
Re: YouTubeからの続きです
谷泰智さま

ご感想ありがとうございます。
円融という概念、奥が深そうですね。初めて聞いた言葉でしたが、わたしの会社名のエンサウンドともなにか
触れ合えるような気がいたしまして嬉しいです。

また、Youtubeに解説動画を上げてくださることを期待しております。


  • 2020/05/15 22:48
  • かんじゅんいち
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